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連邦国立「ロシア科学アカデミー・アカデミー科学出版、製造・印刷出版・書籍販売センター『“ナウカ”出版社』」(れんぽうこくりつたんいつきぎょうたい「ロシアかがくアカデミー・アカデミーかがくしゅっぱん、せいぞう・いんさつしゅっぱん・しょせきはんばいセンター『“ナウカ”しゅっぱんしゃ』」(〔)、通称ナウカ は、ロシアの出版社。ソビエト連邦時代から存在し、往年は科学系出版社としてソ連最大、そして世界最大の規模を誇った。 == 沿革 == 1923年4月14日に、アカデミー会員アレクサンドル・フェルスマンを社長として、ペトログラードで「ロシア科学アカデミー出版社」 として設立された。最初の出版物は、翌1924年末に出版された『ロシア科学アカデミー・ニュース』 である〔。1925年8月からはアカデミーの名称変更に伴い、社名も「ソビエト連邦科学アカデミー出版社」 として知られるようになった〔。 1927年のソ連科学アカデミー憲章によれば、出版社社長はアカデミーの総会により選出されるとされている。1930年には、出版社の管轄はアカデミー常任秘書を委員長として特別に編制された編集委員会に移り、その理事会はアカデミーの総会で選任されるものとされた。翌1931年には社内に伝達部門が設立され、それは1938年にアカデミー附属の書店「アカデムクニーガ」(ru) として独立した。アカデムクニーガは1980年代末までソ連各地に支店を展開し、出版社の書籍を販売した〔。1934年には本社がモスクワへ移転したが、跡地はレニングラード支局として残された〔〔〔。大祖国戦争中には、本社はカザンへと退避していた。 1963年に社名は「ナウカ」(科学)へと改称された。この年の出版タイトル数は2000、出版部数は3万8000部に達している。翌1964年、物理学・数学書と東洋文学の大手出版社として知られていた「フィズマトギス」(ru) および「東洋文学出版社」 がアカデミー出版社の傘下に入った〔〔〔。翌年にはナウカのシベリア支局が設立された〔〔。1970年にノヴォシビルスクに印刷所が設けられたことにより、ナウカはモスクワに2か所、レニングラードとノヴォシビルスクに各1か所、計4か所の印刷所を擁するようになった〔。 1972年の時点で、ナウカは31の物理学・数学雑誌、24の化学雑誌、29の生物学雑誌、5の大衆科学雑誌(『』・『ゼムリャ・イ・フセレンナヤ』(ru)・『ヒミヤ・イ・ジズニ』(ru)・『ルースカヤ・レーチ』(ru)・『』)を含めた135タイトルの科学雑誌を出版していた〔。1977年には140タイトルの雑誌を発行し、その部数は1200を超えた〔。また、ナウカは『』と『ソビエト連邦科学アカデミー紀要』(ru) も出版していた。1973年と1978年に、ナウカはを受章した(1978年はレニングラード印刷所とともに受章)〔。 1980年代初頭からナウカには外国語部門が設置され、『ソビエト連邦の科学』 誌をロシア語に加え英語、ドイツ語、スペイン語でも発行するようになった。1980年代後半のナウカは国家出版委員会 (ru) によって、社会政治分野、科学技術分野、そしてフィクション分野の3つの編集局に分けられていた。1972年から1990年までのそれらの合計発行部数は、以下のように変化している。 ソ連崩壊によって編集委員会が解散した後も、ナウカとアカデムクニーガはロシア科学アカデミー附属の独立した出版社・書店として存続している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナウカ (ロシアの出版社)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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